創観01.ユーモアという名の治療

創観01.ユーモアという名の治療

 

知人との 食事会でのことだ

その知人は 会社社長で

スポーツ万能

知的で 感性 豊かな人物だ

 

彼は 食事の後、私に 質問をして来た

「君の仕事は

人材育成や 人間性を育てる 仕事で

カウンセリングもしているらしいね」と

 

私は 答えた「はい そうですが?」

 

すると彼は

「ひとつ聴いてもいいかね」と言って

対話が 始まった

 

社長「最近は ストレスで

円形脱毛症になり ハゲができている、

どうにかならんかね?」

 

私「ストレスの 原因に

心当たりがありますか?」

 

社長「ここしばらく

社員の人材育成に 苦労していて

新入社員に

ほんと バカな やつがいるんだよ

こいつがまた

十言って一しか分からない バカなやつで

彼と 接していると

とてもストレスを 感じているんだよ」

 

私「ここからは

ちょっとした治療を 兼ねて

ユーモアに お付き合い下さい、

よろしいですか?」

 

社長「いいだろう 宜しく頼む」

 

私「社長は

ハゲタカという鳥を ご存知ですか?」

 

彼は プッと笑いを 吹き出しながら答えた

 

社長「まぁ 頭のハゲた タカのことだろ」

 

私「はい そうです、

ところで 最近

新種 が見つかったらしいのですが

ご存知でしたか?」

 

社長「いや

新種のハゲタカは 分からんなぁ」

 

私「では 説明しましょう、

バカに つける薬は無い

それは 分かりますね?

しかし その バカに 対して

十もの事を言って一しか分からないと

ボヤいている人が いるとしたならば、

ボヤいている人は

もっと バカだと 思いませんか?」

 

社長「あっはっはぁー

ほんとバカの極みだ、そうだなぁ

それが 今の 俺かもしれんなぁ」

 

彼は 明らかに ちょっとツボりながら

笑っていた

 

私「そこで ですが、

新種の名前は  ハゲバカ と言うんですよ」

 

彼は ついに、はまって ツボった

そして  しばらく笑い続けて こう言った

 

社長「俺は、新種の ハゲバカだな、

本当に ハゲてるし」

 

同席している 皆んなが 腹をかかえて

笑い転げていた

 

私「社長、ここまで笑えたなら

時間の問題で ハゲは 治りますよ」

 

社長「私も そんな気がして来たよ、

ありがとう、ところで 真面目な質問だが

いいかね?」

 

私「はい 」

 

社長「どうして 人は、

一言って十解る人と

十言って 一しか解らない人がいるのかね?

人材育成は 社員教育の中でも、

特に 手をやいている」

 

私「社長、主旨と 趣旨の違い

解りますか?」

 

社長「明確には 分からないが、

どういう意味かね?」

 

私「主旨とは、

何の話を しているのか という

話題の中心を いいます

そして 趣旨とは

何のために 何故 話をしているのか

という 理由と 目的のことを言います

ここで 社長に 具体的に 解る様に

説明しましょうか?」

 

社長「私の質問と 主旨の話は

関係あるのかね?」

 

私「はい、明確に 説明できます、

まず 社員教育の中で

人の違いを 分類することです、

これは 私の人材育成のセミナーでは、

『主旨の明確化』というテーマで

お伝えしていますが

まず始めに、

 

1.社長自身の

ものの見方(自覚)を 知ること

 

◦人は 同じものを観ても 聴いても

『受け止め方の違いがある』ということ

 

◦人は 受け止め方が違うので

個性によって 伝えることの

『有効性が異なる』ということ

 

◦人材育成とは 指導する側、伝える側が

『影響を与える側』であること

 

2.何よりも 社長自身が 客観的に

『社長自身の自覚認識の 問題』と

『社員 ひとり ひとりの 人の違いを

認識すること』の主旨を

分けて 考えること、解りますか?」

 

社長「なるほど 面白い、

では 十言って 一しか解らない人は

どうすれば いいのかね?」

 

私「では 10年かかる 答と

今 3秒で済む 答がありますが

どちらが いいですか?」

 

彼は 笑いながら

当然という 表情をして

「3秒で 頼む」と答えた

 

私「では 一番簡単な 方法で 答えます、

十言って 一しか分からない人は、

十言って 一しか分からない人 と

社長が 理解すればいいだけです」

 

彼は キョトンとした表情で

しばらく間を置いて 気がついた、

 

社長「あぁ 、私の問題かぁ」

 

私「そうです

物事には それ相応の仕組みと 手順が

明確にあります

まず 絶対条件は、

社長自身が 自覚

(その人は

十言って 一しか分からない人である

ということを 理解すること)を

持つことです、

その上で

人それぞれの

人間性の違いを 把握することです、

『主旨の明確化』とは

1話の内容は 理解しているが、

どうしていいのかが 分からない人

 

2話の内容 そのものが 分からない人

 

3話の内容も 分からないが

何故 話されているのかさえ 分からない人

 

その3種類に 分かれます

 

指導するに当たって、

1は

話の内容は理解しているのですから、

どこまでやれる事で

どこから出来ないことか、

出来ないことは 何につまづいているのか、

そして どうすればいいのかを

話し合うことが

「有効性」のポイントです

 

2は

話の内容を理解する力が 無いのですから、

何故 その話しをするのか、

その説明から 始めなければ

指導そのものが 的外れになってしまいます

 

3は

話しの内容も 理解出来ないが

何故 話されているのかも 分かりせん、

この場合 話題そのものを

客観的に 説明してからでないと

話そのものの 目的を得ません

 

また、分からない理由、出来ない理由の

第一のガイドラインは、

 

1目標の不透明性

2計画の不透明性

3方法の不透明性

という ガイドラインで

検証することも 指導要項として

シンプルに とても大切です

 

そして 第二のガイドラインは、

1.人間力の問題

(仕事に対する 本気度、心構え、態度、

学ぶ姿勢、向上心、  …)

 

2.能力の問題

(経験から学ぶ力、

学んだことを応用する力、創意工夫、

自発性、  …)

 

3.行動力の問題

(明確な行動手順、継続力、

行動模範、積極性、  …)

 

など、 指導者として

最低限の 管理指導 の 基礎知識が

必要だと思います」

 

彼は 「大変 素晴らしいと」 喜び、

話の続きを 求めた、私は 微笑み、

「社員指導の 話の前に

社長自身の 自覚の話を

明確に 理解しておいた方がいいですよ」

と助言した

 

彼は もちろんという 表情で

首を縦に振った

 

私は 続けた

「社長は この話の 始めに、

どうして 一言って十解る人と

十言って一しか分からない人がいるのかね?

という質問をしていますが

この時 明確には

三つの『どうして』の質問をしています、

 

一つ目の どうして の意図するものは、

言葉の通り、

本当に 一言って 十解る人と

十言って 一しか分からない人の

違いは どこにあるのか、

つまり 「人の違い」と、

「そのつくられる仕組み」についてです

 

二つ目の どうして の意図するものは、

では 、十言って一しか分からない人に

どう指導すれば、適切な 指導となるのか、

というものです

 

三つ目の どうして の意図するものは、

十言って 一しか分からない人は、

私には 理解し難い という感情によって

人には 違いがある「事実」を

観ることが出来なくなっているということ

つまり  社長 自身の 理解力の

機能不全についてです

 

社長は 一度に

この三つの要素を 私に 質問しています、

理解できますか?」

 

社長「うん、まさしく

その通りかもしれない

ところで 私も

君の 個人カウンセリングを

受けられるかね?」

 

彼は 気が付いた、

自分が 変われば 指導も やり様があると

彼は カウンセリングの 数ヶ月後

にっこり笑って こう言った

 

「自分を見つめ直すと

十言って一しか分からない人に

一言って十解る人と

同じ 伝え方を していたことに

気が付いたんだ

十言って一しか分からない人には

十言って一しか分からない人に

合った伝え方があると 解って来たんだよ

しかも、十言って一しか分からない人に

そもそも 十ものことを 言っていた

自分が おかしく思えてきたんだよ

十言って一しか分からない人には、

ひとつずつ 言えば、

誰よりも そのひとつのことを

丁寧に熟す 力があることに

気付いたんだよ

バカとハサミは 使い様 というけれど、

人も 自分も 使い様だな

お陰様で ハゲバカも いなくなったし、

その社員とも スムーズな関係だよ」と

 

脱毛症は

時に 育毛剤や 育毛シャンプーで

改善するのかもしれない

だが ストレスを抱える

精神的 構造を 変えなければ

どんな対処療法を

施しても 再発の恐れと

闘い続けなければならないだろう

 

彼は ストレスを ユーモアに 変えた

彼は 今  脱毛のことさえ

気にならなくなっている

そして バカな社員を

良き社員として 育てている

 

次の文章は

私の ブログ『健康という 幻』からの引用だ

 

 

「健康とは、幻だ

何故なら 病そのものが 幻だからだ

病は 基本、病気という

病気とは 気が 病むという意味だ

 

だが、それは

「偏りを 調整する」 という意味で

正常な 揺り返し、

もしくは 反作用でしかないからだ

 

健体康心とは、

健全な体には 健康な心が 宿り、

康らかな心には

健康な体が 宿るという意味だが、

健体康心の偏りが 病いを 引き起こすのだ

 

つまり

「偏りを 正常化する働き、

それが 病気と 呼ばれるものだ」

 

病気を 診るとき、

「観ること」それが とても大切だ

 

「病気を 治す」とは、

病気そのものを 治すのではない

何故なら、病気は

「偏りを 正している」のだから

本来、病気に 相談し、

病気の意義そのものを 理解すべきなのだ

 

病気そのものは

健康に 引き戻そうとしているのだから

病気を 治して どうするのだろう

気の偏りそれが 病気の本来の語源だ

 

東洋医学で

気は、「 喜、怒、憂、思、悲、恐、驚」の

七情を 内因とし、

内因「七情」と呼ばれ、

七つの精神情志活動の 不調和が

内因として

病気を 造ってしまうと言われている

 

東洋医学では

身体全体の調和が 崩れ、

自然治癒力や 免疫力では

復元、回復出来なくなった状態を

病気と考えるのだが、

ここ沖縄では 更に

「自然治癒力の 根源的 仕組み」から観て

考えられている、

 

沖縄では、病気のことを

「病前(やんめい)」という

現代風に言うと、

未病というところだろうか、

病前は、 文字通り  病む前という意味だ

つまり 病気とは、

 

「このままでは 本当に 人生そのものが

病んでしまいますよ」という

警告、または お知らせ、

という意味なのだ

 

沖縄の先人達は

「病気の 本質」を 見抜いていた

だからこそ 病前、と呼んでいたのだ

 

病気とは、

正見、正道に 戻れ というシグナルなのだ

 

「ヤブ医者 」と言えば

どんな医者を 言うのだろうか

一般的には、

いい加減な医者、診たての 下手な医者、

腕の劣った 医者など

適切な医療対応の出来ない 医者のことを

言うのだろう

 

だが、本来 ヤブ医者とは、

診察に来た 患者に

「病を 診ること」

「人を 観ること」

「トータルを看ること」を通して

裏山の ヤブに 入り 、

その個人に合った 適切な 薬草を

ヤブから採取し煎じて呑ませた

そのことから

名医たる 名医として 呼ばれたのが

ヤブ医者の由来だ

 

西洋医学は

根拠が無ければ 理解 出来ない

だから 問診だけで

病気の根源を 見抜き治療し

完治させるヤブ医者を 理解 出来ない

理解出来ない 医者を

西洋医学は ヤブ医者と 呼んでいるのだ、

「治癒率」、

病気が治り 癒されてゆくこと、

それに関しては

西洋医学が 短期間で 成果が高い

だが、「完治率」、

病気が治り 完治に 健康を取り戻すこと

それに関しては

東洋医学が 遥かに 西洋医学を 凌いでいる

 

西洋医学は

基本、病気という名の 鬼と闘っている

治療とは、鬼退治だ

 

東洋医学は

基本、健康という名の 感謝を 学んでいる

治療とは、人間性の 正道学習だ

 

西洋医学は

病気に 打ち勝つこと

東洋医学は

自然と摂理との 協調性に基づいた、

調和の学習だ

 

例えば、

慢性の 頭痛と

胃痛の 症状を抱えた 患者が

診察に 来たとする

まず、「肉体的、物理的 観点」 と

「精神的、心理的 観点」に分類し

その症状を 診察する、

頭痛を 物理的に観ると

肩こりや 血行不良、

精神的に観ると

常に考え事ばかりをしていて

ストレスを 抱えている 状態、

そして 慢性なのだから、

それが 生活習慣の段階に

至っているということだ、

 

肩こりは

朝晩、腕を 前後に十回程度 回せば

とれてくる

そして 血行不良は、

お茶や コーヒーなどではなく

水を 一日あたりの

適性量(体重 × 0・05ℓ)を

飲むようにする

ストレスは、

気分転換を 覚えることだ

 

例外を除けば

おおよその頭痛は 消えているだろう

 

そして 胃痛を 物理的に観ると

暴飲暴食、不摂生

精神的に観ると 考え過ぎだ

胃は 元気の大元で

脾と密接な 働きをする

そして 肉体的 生命力を支えているから

特に 甘いモノを 控え、

適切な運動をする

そして それを 習慣にしている頃には

胃痛も その姿を 消している事だろう

 

慢性の 頭痛も 胃痛も

見方を変えれば、

生活習慣を 正しい道に戻す

アドバイザーになっていることだろう

 

さて、病気への 見方が 変わっただろうか

 

病気は

あなたの 人生そのものを

正しい道に 引き戻す 味方なのだ

 

病気と 闘っては いけない

 

病気には、理解を示し、

教師とすべきだ

 

生命エネルギーには、法則がある

 

それは、

「闘えば 対象は 強くなり、

受け入れれば 対象は 力となる」ことだ

 

これは

宇宙の真理のひとつ でもあるのだが、

宇宙の真理は 至ってシンプルだ

 

「受け入れないものは 理解しようが無い」

 

「理解していないものは 変えようが無い」

 

「理解出来ないことは 認めようが無い」

 

「認められないものは 肯定しようが無い」

 

「否定する心は 理解力の欠如である」

 

結果、

「人は 否定したものに

コントロールされる」

 

そして「逆らえば 対象は 強くなる」

 

人間、

「自分が 知らないことは 教えようが無い」

 

真理に 照らし合わせて観れば、

慢性の 頭痛も 胃痛も、

たった 一言で 片付く

 

ズバリ、

「欲張り を 直しなさい」

 

真理を 理解する者は

それだけの 言霊で 十分だ

 

人間の 根本的 違いは、

ズバリ、

「学ぶ 姿勢」だ

 

さて あなたは

病気を 実態として 見るだろうか

 

それとも 病気を 幻 と 観るだろうか…」

 

 

さて、病気も 人材育成も ストレスも、

人生 何をとっても

ものごとには すべて

仕組みと 因果がある

 

火の無いところに

煙りはたたない

そして

蒔かぬ種は 生えない

 

人生は

自覚力 と 理解力 が 稀蹟を 起こす

 

あなたは

ユーモアという治療を

理解できるだろうか