<span class="hpt_headertitle">創観15.健康 という 幻</span>

創観15.健康 という 幻

 

健康とは、幻だ

 

何故なら 病いそのものが 幻だからだ

 

病いは 基本、病気という

病気とは 気が 病むという意味だ

だが、それは 「偏りを 調整する」

という意味で

正常な 揺り返し、

もしくは 反作用でしかないからだ

 

健体康心とは、

健全な体には 健康な心が 宿り

康らかな心には

健康な体が 宿る という意味だが

 

健体康心の偏りが

病いを 引き起こすのだ

 

つまり 「偏りを 正常化する働き

それが 病気と 呼ばれるものだ」

 

病気を 診るとき

「観ること」 それが とても大切だ

「病気を 治す」とは

病気そのものを 治すのではない

何故なら、病気は

「偏りを 正している」のだから

 

本来、病気に 相談し、

病気の意義 そのものを 理解すべきなのだ

 

病気そのものは

健康に 引き戻そうとしているのだから

病気を 治して どうするのだろう

 

気の偏り

それが 病気の本来の語源だ

 

東洋医学で 気は

「 喜、怒、憂、思、悲、恐、驚」の

七情を 内因とし

内因「七情」と呼ばれ

七つの精神情志活動の 不調和が

内因として 病気を作ってしまう

と言われている

 

東洋医学では

身体全体の調和が 崩れ、

自然治癒力や 免疫力では

復元、回復出来なくなった状態を

病気と考えるのだが

 

ここ沖縄では 更に

「自然治癒力の 根源的 仕組み」から観て

考えられている

 

沖縄では、病気のことを

「病前(やんめい)」という

現代風に言うと 未病というところだろうか

 

病前は、 文字通り  病む前という意味だ

つまり 病気とは

「このままでは 本当に 人生そのものが

病んでしまいますよ」という 警告

または お知らせ という意味なのだ

 

沖縄の先人達は

「病気の 本質」を 見抜いていた

だからこそ 病前 と呼んでいたのだ

 

病気とは

正見、正道に 戻れ というシグナルなのだ

 

「ヤブ医者 」と言えば

どんな医者を 言うのだろうか

一般的には、いい加減な医者

診たての 下手な医者

腕の劣った 医者など

適切な医療対応の出来ない

医者のことを 言うのだろう

 

だが、本来 ヤブ医者とは、

診察に来た 患者に

「病いを 診ること」

「人を 観ること」

「トータルを看ること」

を通して、

裏山の ヤブに入り  その個人に合った

適切な 薬草を ヤブから採取し

煎じて呑ませた

そのことから 名医たる 名医として

呼ばれたのが ヤブ医者の由来だ

 

西洋医学は

根拠が無ければ 理解 出来ない、

だから 問診だけで 病気の根源を 見抜き

治療し 完治させるヤブ医者を

理解 出来ない

 

理解出来ない 医者を

西洋医学は ヤブ医者と 呼んでいるのだ

 

「治癒率」

病気が治り 癒されてゆくこと

それに関しては

西洋医学が 短期間で 成果が高い、

 

だが、「完治率」

病気が治り 完治に 健康を取り戻すこと、

それに関しては 東洋医学が

遥かに 西洋医学を 凌いでいる

 

西洋医学は

基本、病気という名の 鬼と闘っている

治療とは、鬼退治だ

 

東洋医学は

基本、健康という名の 感謝を 学んでいる

治療とは、人間性の 正道学習だ

 

西洋医学は

病気に 打ち勝つこと

 

東洋医学は

自然と摂理との 協調性に基づいた

調和の学習だ

 

例えば、

慢性の 頭痛と 胃痛の 症状を抱えた

患者が 診察に 来たとする

まず、「肉体的、物理的 観点」 と

「精神的、心理的 観点」に分類し

その症状を 診察する、

 

頭痛を物理的に観ると

肩こりや血行不良、

精神的に観ると

常に考え事ばかりをしていて

ストレスを 抱えている 状態、

 

そして 慢性なのだから、

それが 生活習慣の段階に

至っているということだ

 

肩こりは 朝晩、

腕を 前後に十回程度 回せば とれてくる

 

そして 血行不良は、

お茶や コーヒーなどではなく、

水を 一日あたりの 適性量(体重 × 50)を

飲むようにする

 

ストレスは 気分転換を 覚えることだ

例外を除けば

おおよその頭痛は 消えているだろう

 

そして 胃痛を 物理的に観ると

暴飲暴食、不摂生、 精神的に観ると

考え過ぎだ

 

胃は 元気の大元で

脾と密接な 働きをする

そして 肉体的 生命力を支えているから

特に 甘いモノを 控え、

適切な運動をする、

そして それを 習慣にしている頃には

胃痛も その姿を 消している事だろう

 

慢性の 頭痛も 胃痛も

見方を変えれば、

生活習慣を 正しい道に戻す

アドバイザーになっていることだろう

 

さて、病気への 見方が 変わっただろうか

病気は あなたの 人生そのものを

正しい道に 引き戻す 味方なのだ

 

病気と 闘っては いけない

 

病気には 理解を示し、教師とすべきだ

 

生命エネルギーには、法則がある、

それは

「闘えば 対象は 強くなり、

受け入れれば 対象は 力となる」

ことだ

 

これは

宇宙の真理のひとつ でもあるのだが

宇宙の真理は 至ってシンプルだ

 

「受け入れないもの 理解しようが無い」

 

「理解していないものは 変えようが無い」

 

「理解出来ないことは 認めようが無い」

 

「認められないものは 肯定しようが無い」

 

「否定する心は 理解力の欠如である」

 

結果、「人は 否定したものに

コントロールされる」

 

そして「逆らえば 対象は 強くなる」

 

人間、「自分が 知らないことは

教えようが無い」

 

真理に 照らし合わせて観れば、

慢性の 頭痛も 胃痛も、

 

たった 一言で 片付く、

 

ズバリ、、、

 

「欲張り を 直しなさい」

 

 

真理を 理解する者は

それだけの 言霊で 十分だ

 

人間の 根本的 違いは、ズバリ

「学ぶ 姿勢」だ

 

さて あなたは

病気を 実態として 見るだろうか

 

それとも

病気を 幻 と 観るだろうか

 

つづく