<span class="hpt_headertitle">創観09.エチケット</span>

創観09.エチケット

 

自身への礼儀

 

Etiquette、エチケット。

それは、礼儀作法。

元来、沖縄は、守礼の国だった。

 

今、この国も世界も、

この礼儀が人間社会の秩序から消えている。

 

礼儀、それは対人関係の基本中の基本だ。

しかし、その礼儀も

対人関係の中で生かされる前に、

自分自身が自分へ向け配慮されない限り、

対人という関係性に

生かされてこないのである。

 

つまり、

「自分なんて…」と思っている人や

「どうせ自分は…」なんて思っている人は

自分へのエチケット違反をしているのだ。

 

自分が自分自身に対して

礼儀を尽くしてこそ、

自尊心や自己重要感を培い、

自分への丁寧な生き方が生まれるのである。

 

自分自身を大切にしない限り

その礼儀作法も

長続きするものではないのだ。

誰かに対する礼儀、

何かに対する礼儀も、

自尊の念を通してこそ、真意を得るのだ。

 

人は、価値観に添って生きるものだ。

価値あるものに対して行動するのが

常である。

 

その価値観は、

社会通念に照らし合わされた

「外的価値観」と、

一個人の内側にある

「内的価値観」との

二種類に分かれる。

 

外的価値観は、

また、使用価値、交換価値に分類され、

 

内的価値は、

対象価値と普遍価値に分類される。

 

そして、その内外の価値の調和を

絶対価値と言うのだが、

難しい話は置いておいて、

価値観がその人の行動を

決定づけてゆくのだから、

人の人生観さえも

価値観に照らし合わされて

創れていくのである。

 

 

そして、その価値観も、結果、

深いところで自尊心と繋がっているため、

価値観を見つめ直すことは、

人間関係を含め、個人を

本当の意味で豊かにするヒントになるのだ。

 

怠惰(怠け心)の人に、

自尊心は決して生まれない。

思考だけでも、想いだけでも、

価値は深く理解され得ない。

 

自分以外の人に認められても、

本当の自己重要感は生まれない。

自分自身が、自分を認めた時のみ、

真の礼儀の入口に立つ。

 

面倒くさがり屋、後回し癖の人に、

礼儀は理解できない。

考えるだけでも、想うだけでも、

礼儀は理解できない。

 

他人にどう思われるかを

気にかけている人がしている作法は、

礼儀などではなく

それは、ただの社交辞令でしかない。

 

本気で人生を生きる人の姿は、

そんなものとは無関係だ。

 

本気で意気を生きている人は、

実践と継続から

すべてが生まれることを知っている。

実践と経験を伴わない知識ほど

厄介なものはない。

 

花を美しいと想うのに、

植物学はいらない。

 

豊かさとは、知識ではないのだ。

 

真の豊かさとは、

人と人の間に起こるのだから、

人間というのだ。

対人関係に深い礼儀があってこそ、

豊かさの原点を知る。

 

しかし、対人関係の前に、あなたは

自分自身に 礼を尽くしているのだろうか。

 

自分の人生を大切にし、自分の命を

丁寧に扱って生きる者だけに 初めて、

関係性のすばらしさが 理解できるのだ。

 

沖縄は守礼の国だ。

 

心身共に健康で豊かな生活も 社会も、

ここ沖縄だからこそ、

世界に発信できるのではないだろうか。

 

真のエチケット。

それは、自尊心に根ざして

自然におこるもの。

 

さて、あなたは

本当の礼儀を 持っているのだろうか。