積極的で 明るい人、
消極的で 暗い人が いるのではない
積極的で明るい人と
消極的で暗い人の 違いは
脳の使い方の 違いだ
私は それを
「愉快脳」「不快脳」と教えている
プレッシャーに
強い人 弱い人が いるのではない
プレッシャーに強い人と 弱い人の違いは
愉快脳と不快脳の 脳の使い方の違いだ
傷つかない人 傷つく人が いるのではない
傷つかない人と 傷つく人の違いは
結局 愉快脳と 不快脳の 使い方の違いだ
成功者と 失敗者
その違いも 脳の使い方の違いだ
そして その脳の使い方は
「前提力」が カギを握っている
前提力 それは 脳の出力領域を 大きく変える
仕事での 大事な場面
スポーツでの 大事な場面
そして 人生の あらゆる大切な場面
その全ての場面で
使われている 脳の部位の違いは
結果の違いを生む
また 結果だけなら まだ ましだが
出来事そのものの意味すらも
変えてしまうことを 覚えていて欲しい
大事な場面 それが 「ピンチ」か
それとも「チャンス」か
前提力 それが ピンチなら
結果 致命的結果となるのは 当然だ
そして 前提力が チャンスなら
結果 最良の結果となるのは 当然だ
何故なら
「ピンチは 不快脳の 為せる技」であり
「チャンスは 愉快脳の 成せる技」だからだ
例えば ゴルフなどで 残り100ヤード
「寄せれば チャンス 」という時
チャンスを 体験する
だが 「寄せなければ ピンチ」という時
ピンチを 体験するだろう
これは 言葉の 言い回しの違いくらいだと
甘く見ては いけない
この時 使われている脳の部位は
違うのだから
人は 二種類の 緊張感がある
一つは 不安が 前提力として 働く 緊張感だ
その緊張感は
不快脳が使われている上に
心も身体も 縮こまり 血行不良になっている
更に あぁなったらどうしよう
こうなりたくないなぁ などと
集中力さえをも 散漫にしてしまう
それでは 普段 出来る事さえ
出来なくなってしまう
そして 二つ目は
希望が 前提力として 働く 緊張感だ
その緊張感は 愉快脳が使われている
心も身体も 躍動感に溢れ こうしたい と
イメージ力さえ働く
その上 集中力は
日常では 使われない 脳の領域まで機能し
ミラクルな プレーさえも起こしてしまう
あなたの緊張感は ピンチだろうか
それとも チャンスだろうか
あなたの前提力は ピンチだろうか
それとも チャンスだろうか
ピンチと感じる時 人は 思いのほか
自分自身で ピンチになる状況を
イメージしてしまっている事に
気が付いていない
置かれた状況を
「ピンチと見なした自分」が
不快脳を更に 強めてしまっているのだ
人間 基礎本能が 生存なら
人生 守る基準 つまり「保険」不快脳だ
人間 基礎本能が 愛徳なら
人生 創る基準、つまり
「保健」愉快脳となる
保険は 備えあれば憂いなしで
万が一の為の 不安対策だが
保健は ビジョンのための
意思と信念と行動を 意味する
保険は
不幸にならない為の 価値の基準であり
保健は
幸せになるための 価値の基準だ
人間の基礎本能は
生存などでは無く
絶対的に「愛」だ
前提力とは 単的に言うと
「心構え」のことだ
心構えとは 心がけ
つまり 心の用意を差す
時にそれは
人生の大きな分岐路において
「覚悟」として表すこともある
覚悟する心構えは
人生において とても重要だ
人が この世に 生を授けること
それを お三(お産)という
それは 三度 生まれることの意味からだ
一(おいち)は
この世にせを授ける 誕生を意味し
二(おに、鬼)は
自我の誕生を 意味する
三(おさん)は
腹を据えた 生き方へ
再び 生まれ変わる という意味だ
鬼という 自我 中心の生き方は
伝わり合う様になると
魂という 意味に 変容する
つまり 命は 独りではなく
繋がり合ってひとつ
ということを 悟るのだ
誕生から 自我の芽生え、
そして個人主義の自己顕示欲から
伝わり合う 魂の絆へ
その変容こそ、
真の意味においての 大人へとしての
「生まれ変わる」意味なのだ
そもそも人生とは、
共に繋がり合って 成り立っている という
覚悟を持って生きること
それが 生きる心構え、
それが 生きる上での 前提力だ
前提力
それは 生きながらにして
生まれ変わること とすべきだ
さて あなたは
覚悟を持って 生きているだろうか
愛するものと共に という
心 開かれた 心の用意があるだろうか
前提力
それは あなたを劇的に 開眼させ
変容させる
あなたが 覚悟という前提を 持つ時
あなたは 究極の あなたへ
生まれ変わるだろう