<span class="hpt_headertitle">創観11.ストレス という 幻2 -ストレス は 妄想-</span>

創観11.ストレス という 幻2 -ストレス は 妄想-

 

「ストレスは幻し」に引き続き

「ストレス は 妄想」

 

さてさて

『 知覚、心の機能

そして理解は

どの様にして

愉快脳を 生起させるのだろうか?

 

お笑い番組を 見たとする、

その番組の中で

ブラックな言葉や

ネガティブなことを言っても

すべてが 笑いになる、

 

それは始めから

お笑い番組を 観ているという

気分というか 態度、

心構えというのが

無意識でも はっきりとあるからだ、

だから 笑える様に 聴くのだ』

ということを 前回は 話した、

 

この部分を 読んで

「あぁ~」と 感じたなら、あなたは、

あなたの 人生から ストレスが 完全に 消滅し、

人生すべてが 一瞬にして

永遠に 楽しく 笑いとなる

 

この「あぁ~」と言うのは

理科学的な「あぁ~」だ

 

この「あぁ~」には

ちゃんとした仕組みがあるのだ

 

この「あぁ~」というのは、

「主体性」が ある人にしか 起こらない

 

何故なら

主体性が ある人にしか

「自分次第」という言葉の 意味が

解らないからだ

 

「自分次第」とは

「主体性」が 無ければ

絶対に 理解出来ない

 

主体性が 無い人、

曖昧な人の 自分次第とは、

仮設だ

 

 

お笑い番組を、

笑える様に 聴く というのは

お笑い番組だから

笑えるのではない、

 

そもそも

ユーモアを 知らない人は、結果

 

何を 観ても 笑えない、

 

だが ユーモアのある人は

箸が転げても、笑ってしまう

 

お笑い番組は

確かに 面白い、お笑い番組だから、

だが、楽しもうと

「前もって」思っていると

笑うところを

ビンビンに 感じてしまう

 

もしも、あなたの人生を、

お笑い番組そのものだとしたならば、

 

あなたは、 自身の人生に

どれだけの笑いを 見つけることか、

 

ここまでを読んで

「あぁ~」となれば すでに あなたは

解り始めている

 

人の 人生は、

意識、関心を 向けたものが

眼に はいるのだ

 

 

世の おじさん は、笑わない

 

何故なら

「笑いは 安く 名誉は高い」からだ

 

名誉ある 二枚目は

紳士たる 男の

何たらかんたら だからだ

 

笑いは、

チャラチャラした者の 態度だと

妄想している

 

 

おじさんには、

笑わない哲学がある

 

その哲学は、勝者を 目指す

 

その哲学は、

「承認」「名誉」「優越」の 強奪だ

 

 

おじさんは 何らかの

「立場」が無いと

「自己認識」 出来ない

 

そして 相手に 承認され、

名誉を与えられ、

誰かより 優れていないと、

 

「自己貴重感」を 感じきれない

 

だから 二枚目に 勝者を 目指すのだ、

 

勝者という 手柄は

自分自身の 証明書だ、

 

「勝者は すべてを 手にする」

という妄想は、

勝ちを 手にして

「平等」を 失うだろう

 

平等すら 理解出来ないのだから 、

愛は 更に 幻しの中の 妄想だ、

 

 

ここで言う おじさんとは、

中年男のことではない

男性、女性、老若に かかわらず、

勝ち負けを 本気でしている

すべての人たちのことだ、

 

負けの上に立つ 紳士とは、

笑わない おじさんの為せる技だ、

 

主体性の 在る者は、

承認、名誉、優越感という

松葉杖を 必要としない、

 

 

おじさんは 笑わない、

だが、笑わないのは

紳士だからではなく、

 

笑いが 怖いからだ、

 

 

笑いは、

心を ひとつにする

 

笑いは、

立場を消してしまう

 

笑いは、

心を 開かせてしまう

 

笑いは、

名誉に 支えられる 必要が無い

 

笑いは、

無私となるものだ

 

笑いは、

愛に同じく

すべての境界を 消し去る

 

 

立場を持って 、自分とする者

 

名誉を持って、自分とする者

 

優越感を持って、自分とする者

 

認めさせる為に 行為をする者

 

これらの者すべてが

笑いを 恐れるだろう

 

 

笑いは、

何が おかしいのか、ではない

 

おかしい から

おかしい のだ

 

笑いは、無条件だ

 

 

自分自身の 証明書を

外側に 探し続ける者は、

笑いを 忘れるだろう

 

笑える心を 育てなさい

 

ストレスは、

笑いによって

その居場所を 失うのだから、

 

 

さて、

ストレスは 何故 存在するのかが

解っただろうか

 

ストレスは、

主体性の 不在なのだ

 

 

主体性とは、

作用の主という意味だ

 

作用の主とは

作用を 与える側、

影響を 与える側であって

 

作用を 受ける、

影響を 受けてしまう側ではない

 

さて、あなたは ストレスに

影響を 与えられてしまう者だろうか

今から 主体性を 持つことによって

ストレスを 消し去る者になるだろうか

 

 

誰か次第、

何か次第、

タイミング次第か、

それとも 自分次第か

 

 

客観視が 出来た 段階で

ストレスは 不快さを 失う

だが 客観視は

主体性があって 始めて成立する

 

理解の あるところ

ストレスは その居場所を 失う

だが 理解力は

知覚が機能して 始めて 成立する

 

笑いの あるところ

ストレスは その存在を 失う

だが 笑いは

愉快脳が機能して 始めて 起こる

 

 

愉快脳、

それが 生起すれば

ストレスは、解消される

 

 

愉快脳の 機能するところ

ストレスは 消え去る

だが 愉快脳は

心が機能して 始めて 機能する

 

 

もう一度 言おう

 

「心は 感じることによって 機能する」

 

そして その 「感じる心」とは、

ズバリ、「積極性」によって

目覚めるのだ

 

積極性を 持ちなさい

 

積極性を 育てなさい

 

気が付けば あなたは

ストレスを 忘れる

 

 

ストレスは 幻しだ

 

そして ストレスは 妄想だ

 

積極性、

それは あなたに 理解を与え、

主体性を与える

 

そして 笑いを 与え、

愉快脳を 生起させる

 

 

愉快脳が 目覚める時、

あなたは ストレスを

愉快に 観ているだろう。